東日本大震災は、そこに住んでいた中国人も津波から逃げていたんだ。そんな経験をお聞きしました。

今日、証明写真を撮りにこられた中国の留学生のお客様は宮城県名取市東日本大震災で被災され逃げた経験談
を伺いました。
友人二人で津波がくると言われ必死で高い場所に走って逃げたそうです。
命かながら二人で逃げました。怖かったです。と恐怖を語っておられました。

今も仙台の学校に通い、大連出身友人の紹介でうちに仙台から就活の撮影にこられました。



銀塩の絆のスタッフの ぶらりアフリカモロッコの旅のSさんが、あの金環日蝕の朝、東京の天気が、曇りそうだと
考え、朝4時起きで、高崎に向かい


高崎で朝、駐車場で多重露光で撮影したものです。ご本人には、時間を決めて露光していないので、ムラがありよく
なかった。でも撮り直しがきかないからな!と言っておられました。





             ー銀塩写真を続ける為の『銀塩魂』ー

昨日,道でばったり、もう何年もお店には来ていないお客様で、ご近所に住んでいて、経営コンサルタント
をしている方にお会いしました。立ち話はこんな内容です。

もう写真というビジネスモデルが、上手く行かないモデルになってきているんでしょうね?
駅前のあとから作った店も2店、止めましたからね。

フランチャイズのモデルは,社員を食わせようというモデルじゃないから,一定の利益を上げないと
やめちゃいますからね。

別れ際に,あんまり無理しないで!

最後の言葉が,刺さりましたね。気遣いの言葉なのだろうけれど、銀塩写真は、ゆるーく,続ける事は,
はたして出来るのだろうか?

銀塩写真やフィルムは無理しないと,銀塩写真は毎日機械を動かし,フィルムを一定量流し、現像機と
薬液のご機嫌を伺いながら23年目です。

もとより安売り店でもなく、メーカーのモデルどおり出来る訳でもなく、そんなモデル今のご時世で、
存在すらしない訳です。

気持ちの切り替えのスイッチを変えれば良い。人様の無理は、無理ではなく,銀塩写真の日常とする。
そう思えば続けられぜ〜



QSS V-30のネガの現像機のターンガイドと言って,フィルムが折り返すように回転する所のパーツです。
新品ですとこのウレタンのパーツは綺麗ですが、毎日使っているうちに,黄ばみます。


そこで、キャビネ用のバットの中でバラバラにして、分解します。

バットの場所を暗室に移し次亜塩素酸ナトリウムで清掃します。




今回の忘れまじ東北は、『忘れまじ東北・石巻