大凡25年にわたり手伝ってくれましたO君が卒業することになりました。
大凡25年前高校受験に合格した頃からのお付き合いです。始まりは同級生が三人代わる代わるバイトで入ってくれました。
2年前私が入院して店の維持が困難になった時も彼の従姉妹や皆で店を盛りたててくれました。
この機械は沢山のローラーが薬品に浸かった状態で回転している機械なので、デリケートな機械です。ですから正月もお盆も回転させるようにしています。
この1台の銀塩写真プリンターを維持する為に1台+1/2台の部品取りで維持しています。
30年前に写真事務所から写真スタジオとして小平市に移転しました。
当時撮影からプリントまで一貫生産をキャッチフレーズにしていました。
30年前のお店の銀塩プリンターも当初はモニターの付いていないネガを見ながら判断する原始的な引伸機が付いた機械です。それがQSS15型というプリンターです。
QSS15型・19型・23型と3代の銀塩写真プリンターを彼は見てきました。私が2年前に入院した時も留守番をして貰いました。プリンター操作のできる人が去る事が誠に残念です。
国内唯一稼働になったQSS23型が今から10年前に横浜で動いていた機械を譲り受けました。
2011年私が311の被災地に行き1週間以上の間私がいない中留守番を彼はしてくれました。様々な協力者で国内唯一のミニラボは継続できています。
彼も結婚しお子さんも誕生しお宮参りもフィルムで撮らせて頂きました。
25年間の長きにわたり銀塩写真プリンターと共に感謝です。本当にありがとうございました。