デジタル画像の行く末。その1

その昔、画像アプリは一部のプロフェッショナルが写真業界や印刷業界等で使われているだけでした。

しかし、企業はマーケットを広げた方が 当然利益が上がりますので、時間をかけ拡大路線におおよそ20年くらいかけ、ひた走ってきました。

デジタル画像もしかり、PCを使いテクニカルな世界に突き進みます。


こちらの例は、画像エンジンの開発をしている会社の最先端の現場の声が記述されております。

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IT Media の矢野渉さんの記事の抜粋から、驚く話が書かれていました。
光の行方に思いを寄せてーーミノルタ『TC-1]
先日、デジカメの「映像エンジン」を専門に開発している会社に行く機会があった。中の人たちと話をしていて感じたのは、残念ながら「光学系の軽視」だった。
 ここ数年、デジカメに使われる映像エンジンの進歩には目覚しいものがある。1秒間に30コマの写真を撮影しても余裕で処理できるし、カメラ内でデータにさまざなエフェクトをかけることさえ可能になった。
 こうなるとレンズを作るときの基本である球面収差、ディストーション(歪曲収差)、周辺光量の低下などをなくそうとする方向性の設計は、全く意味を成さなくなってしまうのだ。高性能の高価なレンズを作るよりも、ほどほどのレンズで安くあげ、収差などはカメラ内の映像エンジンに補正させたほうが現実的だろう。
 「まあ、何かしら光がCMOSに届いてくれればいいんですよ。あとは映像エンジンが描いてくれますから」 返す言葉がなかった。

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光学レンズは光学的に大凡7つの各種の収差があり、それを克服すべくあらゆる努力の歴史
が、現在も続いています。しかし、デジタルの映像エンジンが描く画像とは、 これからの
描かれる画像の行く末は、一体どうなるのだろうかというのことだ。 画像エンジンが画像を
描くとはどういう事だろう。



極論すると、画像エンジンで、歪められていないものと歪められたものの区別を誰がどのよ
うに区別をするのだろうか? 


コンピュータグラフィックとの区別がつかなくなるこれでは、法廷での証拠能力は??では
ないか。高性能のコンピュータやデジタル撮影機材は、玄人・素人に関係なく財力に掛かっ
ているといっても言い過ぎではないと思う。


最新のソフトだったり、アプリ操作の技術力だったり、画像操作の修羅場と化し、写真のよ
うで写真ではない世界に向かっているのだと思う。


デジタル画像の近未来に気づいた人だったり、ぼんやりとした未来の姿に気づいた人で写真
が好きな人は、温故知新で、銀塩写真に戻ったり、芸術写真に行く人は、プラチナプリント
とか、B&Wにさらに向かうのではないだろうか?



並列的に見ると改めてフィルムカメラで撮影するネガの銀塩写真は、安価で誰もが撮れて、
敷居が低く、はっきり銀塩写真と分かるものが、凄くいいと思うのです。




今回の『忘れまじ東北』は気仙沼港のフェリー乗り場の側の、工場や、倉庫が建ち並ぶ一
体の木造の建物の中です。海産物の加工工場や、冷凍倉庫が並んでいたのでしょう。フェ
リー前で本来なら多くの人が行き交っていたのだと思う。


『忘れまじ東北・気仙沼