年に1度の年賀状から、25年ぶりの再会をしました。

25年ぶりの再会とタイムスリップした感じですが、
中野に私の事務所があったころ、たまり場になっていた近所のあるレストランで彼は学生で時々アルバイトをしていた。
25年ぶりに再会した彼は北海道出身で同郷の気になる存在だった。

よく店の閉店まで語り合った。卒業後ヤマハ渋谷店に勤め、録音のエンジニアをしていた。
その後もCMの録音技師をしている頃、六本木で顔を合せることがあった。

25年前は私はパジェロエステートに機材を積み込み走り回っている頃、彼はパジェロのショートを駆った。
彼は気に入るとことん深く掘り下げるタイプで、今でも、その車を乗っているそうだ。

そんな彼は、ヤマハ渋谷店のたった1日だけのコンサートの為にお店にきてくれた。渋谷店のオープン当時からのアルバムを
渋谷のアックスでコンサートする時の展示パネルを作る打ち合わせにきたのだ。

アルバムの中身はとても懐かしい物ばかりで、当時、青学の学生だったサザンオールスターズが練習していた貸しスタジオで練習をしていて、今度、イーストウェストというコンテストがあるから出場しないかとヤマハの人に勧められて、シャネルズやウシャコダ、に混じり入賞し、デビューのきっかけを作った思い出深いものだ。

ヤマハに依頼され,そのセビアのポスターを私が撮った。なんの縁だろう、


彼はベースのミュージシャンになりたかったのだという。25年前当時、36万円のヤマハエレキベースを渋谷店で買った。思い出の店がヤマハ渋谷店で、そこに勤めることになった。


彼はその後も録音のエンジニアとして、井上陽水岩崎宏美世良公則浜田省吾稲垣潤一金子マリ、KAN,工藤静香藤井フミヤ、etcそうそうたるミュージシャンの録音エンジニアとして今に至ったという。


その昔、ジャコパストリアスが好きでヤマハのポスターやカレンダーを部屋に飾っていた物があり、その中に私が撮ったコーネルデュプリー、ブラザーズジョンソン、ラリーコリエル、だったのだという。


話しがデジタルデータになり、デジタル録音と画像データは共通性があり、DPIの大きい方が小さいよりも良いし、録音も同様だという。コード1本でも、最良のプロツールにこだわり機材にこだわり、腕1本でやってきたという


また、写真に影響のある蛍光灯の輝線の話しから、電磁波の影響を録音時に受けることから、録音では蛍光灯とタングステン光では電磁波を、どちらの方がが影響が大きいかの話題になり、タングステンの影響の方が直接的にビンビン受けやすいということも分かった。

銀塩写真もデジタル音源も高品質であるモノを、金儲けのシステム構築・運営しているものに利が集中し、ユーザーは上澄みの薄い物しか受け取っていない。というシビアな話にも到達しました。


ヤマハ渋谷店の大切なアルバムの130枚の写真の中でも、うちでも使っているフジのFAペーパーが耐候退色性に最も優れ、B&Wのようにびくともしない印画紙だということを再認識しました。
1冊で130枚貼られたアルバムでは保存条件は一緒の筈だが、変色度合いが違います。

彼は銀座に行く予定があり、懐かしい時間はあっと言う間に過ぎ去りました。

短期的な物の見方ではなく、長いスパンで価値のある物が銀塩写真の真骨頂です。


ヤマハ渋谷店に関わりがあるミュージシャンは子供の頃から関わっている渡辺香津美さん、サザンオールスターズ佐野元春さん達は、もしもこのコンサートを知らないのであれば、さぞ残念がると思います。
ヤマハ渋谷店コンサート
http://www.sayonara-shibuyaten.com/