古いガラス乾板の保存についてあれこれ

古いガラス乾板の複写を依頼されました。ご先祖様の写真という事で被写体は着物をきた家族写真、江戸末期から明治の写真でしょう。1848年にフランスでカメラオブスキュラが発明され、日本には9年後に入って明治時代に発展しました。その10cm足らずの写真乾板のお子さんは長時間露光に耐えられずぶれていました。その男の子は幼くしてなくなったそうです。保存をすべき歴史的写真です。複写をした後は子供たちも興味がなさそうで、と少し持て余し気味の答えでしたので、図書館に依頼をされては如何でしょうかとお勧めしました。その方の母方の貴重な日記の事もお話し下さいました。このままでは、この先、散逸しそうな気配を感じました。私が出しゃばる訳にも行かず、どうして差し上げる事が良いのか検討中です。誰もがTVで〜将軍という番組の同じ役者の苗字の系統で明石の方です。ウィキペディアには詳しく資料が出てきます。旧士族と呼ばれていた人です。ご夫妻共々士族のようです。過去に仕事で何人かの殿様の末裔とお会いした事はありますが、おっとりした人柄が共通項です。人間の寿命を考えますと世代が50年くらいのスパンで文化的価値の高い資料を積極的に保存救済するシステムを国として持っていなければいけないと感じました。友人で資料館の学芸員をしている人に聞いてみたいと思います。被写体のお姫様の末裔は不思議な所作をしています。子供たち以外は手を袖から見えないように一応に隠しているんです。以前見た江戸時代のポートレートは手を出していました。クイズ番組のネタになりそうです。歴史的な人物の末裔ではお客様で良く来られるのは、村田新八氏の末裔、お孫さんがきます。古い写真の複写の記憶は富岡の製糸工場の全景を複写しました。それはすばらしい写真でコントラストのある硬い写真した。撮影用に30mくらいのイントレを組んだそうです。東京から写真師がきたと説明を受けました。随分昔の話しで今では世界遺産の申請をしていると聞きますから、沢山の人に見てもらいたいと思います。言い古された言葉かもしれませんが、女工哀史の舞台です。
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