嘘みたいな、本当の話

今着々と、フィルム現像機を、今までのものから、ブローニーフィルム現像ができる、一九さんと同様に、二の一でパーツの確保をしながら、QSF V-30型に変えました。

以前にもお知らせしましたが、2011.3.31でQSF V-30型のメーカーサポートが終了になりました。ということは、この機会に機械を変更しなければ、タイミングを逃すことになります。QSFV-30は比較的に沢山使われている現像の機械で、なくなっているパーツもありますが、まだ今のところは、何とかなるレベルです。
主要スイッチィング基盤、電源トランス、挿入部、液晶パネル、を確保しました。


輪番停電で、200V三相三線の過電流でひどい目に遭いましたので、転ばぬ先の杖でしょうか?


 23区内のある駅のそばに写真屋が一つもなくなったそうです。最後に残ったお店での会話の1シーンです。その時お客様から、私たちこれから、どうすればいいのよ!と店主に言い放ったそうです。不況業種である写真屋は永く、コミュニティまで大げさではないかもしれませんが、ある地域の同好の志の中心に居たのかもしれません。 こうも立ちいかなくなると、『このような話』は、そこかしこから聞こえてきます。


商店は、地域密着ですから、育て、育てられる関係で、一定のユーザーで商売が成立しておりますので、利用者がその、分水嶺で、維持できなくなれば、存在できなくなります。


アナログプリントの最古参である一九さんの台数が、ここにきて超激減しているようです。東京では、うち以外は、0台。埼玉県では、1台学校写真をされているところが、1台とあと、長野県に3台、情報を集めても、集まりません。

埼玉県の方にも電話で直接確認しましたところ、富士を現在は使っていて、情報元の営業マンの方も、退職され、確認ができません。埼玉県も1台もないかもしれません。

ひょっとすると、片手ですんでしまうかもしれません。全く、存在していない県の方が圧倒的に多いようです。
銀塩写真リスペクトがなく、商売目線で本物の銀塩写真を維持しようとすると、相当困難なスパイラルに入っております。


ブローニーを固定焦点レンズで焼くという、面倒でもあり、すばらしいことでもあるのですが、人というものは、かくも、利便に向かうものでしょうか?


2年前に立ち上げました銀塩写真の絆ですが、大震災もあり、絆という言葉が、ここにきてよく耳にすることが多くなりました。 銀塩写真の象徴的『機械遺産として』たとえ、動かなくなっても、一九さんを保存したいと願うのですが、、、


銀塩写真は、人が使うものですから、次世代に繋げなければ、立ち居かなくなります。単なる博物館で、郷愁に浸っても若い世代には繋がらないでしょう。
しかも、偽物ではなく本物の銀塩写真に繋げなければ、意味はないのです。銀塩写真はトライ&エラーで失敗を重ね上達するものです。